Summer

ふとYoutubeを開いたら、新しく久石譲のSummerのMVが公開されてた。原曲が公開されてから26年経つらしい。
動画を見ながら夏の好きなところを考えてたけど、夏休みの存在は大きいなと思った。周りに夏の好きなところを聞くと「イベントが多い」とか「色んなところ遊びに行ける」みたいな言葉をよく聞く。けど、個人的に夏の良さはノスタルジーさにある気がする。でもその感覚はどこからくるのだろうか。
掘り下げると、自分の場合夏に聞こえてくる音が好きらしい。祖父母の家で鳴ってた風鈴の音、夏季講習中に聞こえてた運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏、帰り道に聞いてたひぐらしの鳴き声、他にもあるだろう。夏に聞こえてくる音はそういった懐かしい記憶たちを思い出させる。イベントやレジャー施設は確かにたくさん増えるが、どちらかというとこういう普遍的で叙情的なところが好きなのかもしれない。
今の記憶を持ったまま学生の夏休みを謳歌したいと思うこともあるが、多分無知で無責任なあの頃だったからこそ当時の夏休みを過ごせたんだと思う。今の記憶を持ったまま過ごしたら効率よくは過ごせるかもしれないが、罪悪感か背徳感か、もしくはもう戻りたくないという絶望感と寄り添いながらになると思う。一度結末を知った小説を無知な状態で楽しく再読できないのと一緒。タイムスリープものでは、2度目の高校生活が華々しく描かれるが実際はそんなとこだろう。
話を戻すと、そういった過ごした夏や過ごしたかった夏の音を多く聞けるのが夏の良さだと思う。そして意外と懐かしく感じる記憶たちが万人共通なところもいい。
今年は帰省(実際は帰省というより旅行に近いが)できるかわからないけど、もしできたらSummerや他の夏の曲たちを聴きながら散歩したい。昔みたいに買ってもらったばかりの虫籠や付箋を貼りまくった参考書とかは持ってないけれど、多分そのとき音楽と一緒に聞こえてくる環境音を懐かしむことができたらそれが一番いい気がする。
いざこうやって書いてみると文章を書くのは難しい。ただ普段頭の中で留まったり、適当に吐き出されるものをこうやってまとめて消化できるのはいいかもしれない。あとは自分の文章を見ることで語彙力の少なさや普段使ってる言葉遣いの稚拙さを客観的に見れるからいい。また活字に触れる時間を増やして、いつか綺麗な日本語を書けるようになりたい。