好きな音楽の話

「アメリカ民謡研究会」という名前のチャンネルで、多くのオリジナル曲があげられてる。その中でも一番オススメの曲が上の曲。
たまたまおすすめに流れてきたんだけど、まず「良い1日になりますように」という言葉が温かくていいなと思った。
七夕の短冊に書いてあってもおかしくないくらいありふれた願いのように見えるけど、逆に自分たちが普段見落としがちな祈りのような気もした。
この曲からうけるイメージは、人それぞれあると思うが個人的には綺麗で辛いというのが率直な感想だ。例えると、昔友人と何も描かれてない真っ白なキャンバスと真っ白に塗られたキャンバスの違いについて話したことがあるが、この曲は圧倒的に後者だと思う。
聞いたときに浮かぶ情景としては、遠くまで広がったお花畑が見える時もあれば、病室で外を眺める一人ぼっちの子供が浮かぶ時もある。
さらにここからは二次創作的な妄想にはなるが、曲の主人公が走馬灯のように過去の綺麗な記憶を思い出しながらもうあの頃に戻れないという悲痛な叫びをひたすら書き連ねている手紙を読んでいる感じがする。
「知らぬが仏」という言葉があるが、まさに忘れられなくなるような綺麗な思い出や感情を知ってしまった子供の悲痛がヒシヒシと伝わってくる。
コメント欄にはいろんな感想や考察が溢れているが、自分の感想も含めておそらく全部正解で不正解なんだろう。
なぜこの曲が好きなのか改めて考えてみた。メリーバッドエンドストーリーが好きなのは理由としてあるが、一番は報われない願いと知っていながら、明日の純粋な幸せを祈れるようなこの曲の主人公がとても羨ましくなった。
絶対にもらえないとわかっているものを願える心はある意味最も綺麗な物なんじゃないかと思う。自分たちが明日のことを願わないのは、「明日は当たり前に来て、当たり前に過ぎて行くもの」と思っているからで、その上で自分たちはお金だったり愛情だったりという他人を経由するわかりやすいものを求めようとする。大人になってからはそれが普通だと思って疑ったこともなかったけど、すごく打算的で狡猾で不純なようにも思えてくる。
と、この主人公が訴えてくるようにも聞こえるのだ。「あなたたちは明日もあって明後日もあって元気に走り回れる体があって温かく迎えてくれる家があって、それなのになぜまだ高望みしようとするんですか。」と。 「足るを知る」という言葉があるが、まさにそのことが大事なんだと思う。この主人公が言えなかった分のささやかな願いも見つけられたらなと思う。
「明日の朝の占いで良い結果が出ますように」
「明日も良い天気になりますように」
「明日もみんなで美味しいごはんが食べられますように」
「明日も元気でみんなに会えますように」
「明日も良い1日になりますように」
本当に日本語って綺麗だと思う。
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ブログを始めて数日経ったけど、文章を書くのは本当に難しい。
書いてる間に別の言い回しや他の言いたいことが思い浮かんだり、本題から持った以上に外れそうになったり書く前には知らなかった大変なことがたくさんある。物書きの人たちは本当にすごいなと思った。
これからも練習し続けて、いつか綺麗な物語が描けるようになりたい。
あと唐突だけどヴァイオリンも始めたい。